2015年8月17日月曜日

グノー:ファウスト Charles Gounod: Faust

フランス語で「フォスト」と発音されるこのオペラは、ゲーテの「ファウスト」を題材にして作られた。
作曲者のシャルル・グノーは1818年にパリで生まれ、1893年に75歳でパリ近郊のサン・クルーで没している。今日、世界で多く上演されるオペラのうちの一つで、オペラのあちこちに聞き覚えのある旋律が現れる。
老いた学者ファウストは絶望し、服毒自殺を図るがそこへ悪魔メフィストフェレスが現れる。メフィストフェレスはファウストを若返らせる約束をする。これと引き換えに、若さを取り戻したのちにファウストはメフィストフェレスに魂を捧げさせることを要求し、彼らは契約を結ぶ。(第1幕)
若返ったファウストはメフィストフェレスと共にとある村を訪れる。そこでは村人たちが賑やかに歌い、踊っていた。メフィストフェレスは「金の子牛の歌」を歌う。ファウストはマルグリットを見て魅了される。(第2幕)
ファウストは宝石のたくさん入った箱をマルグリットの家の前に置く。箱を見つけたマルグリットは「宝石の歌」を歌う。(冒頭の歌詞 - ああ!私は鏡に映った自分が何ときれいなのかを見て微笑んでしまうの。)マルグリットはためらいながらもファウストの愛を受け入れる。(第3幕)
マルグリットはファウストを待っているが、ファウストは戻ってこない。彼女が教会へ行き神に祈ると、そこにはメフィストフェレスがいて彼女に呪いをかける。マルグリットの兄ヴァランタンはファウストに決闘を挑むが、悪魔の力をかりたファウストに簡単に負けてしまう。(第4幕)
ワルプルギスの夜、魔女たちに囲まれ、歌い、酔い、騒ぐファウストとメフィストフェレス。マルグリットへの未練が残るファウストは彼女の幻影を見る。彼はメフィストフェレスに頼み、マルグリットのいる牢屋へ行く。彼女は自分の赤子を殺した罪でとらえられていたのだ。再開した二人は喜び歌う。ファウストが悪魔に憑かれていることを悟ったマルグリットは神に加護を祈る。一緒に逃げようとというファウストのいうことをマルグリットは聞かない。すでに気がふれているマルグリット。彼女は死に、天使に導かれて天国へ昇っていく。(第5幕)

本文中の青字の部分をクリックしていただくとyoutubeでビデオをご覧になれます。

下のリンクは、フランス南部にあるローマ遺跡の野外劇場で毎夏開催されているオランジュオペラフェスティバルでの「ファウスト」全幕。ロベルト・アラーニャがファウストを熱演、メフィストフェレス、マルグリット役の歌手も適役。

2015年7月6日月曜日

アダン : ジゼル Adolophe Adam : Giselle

ジゼルはバレエの主要なレパートリーの一つで、1841年にルイ・フィリップの治世時期にフランス、パリのロイヤル音楽アカデミー(現在のパリオペラ座)で初演された。音楽はフランス、パリ生まれの作曲家アドルフ・アダン(1803-1856)による。

ジゼルは踊りが得意な無邪気な農民の娘。貴族の身分を隠して村にやってくるアルブレヒトと結婚の約束をしている。しかし、アルブレヒトには貴族の婚約者がいた。ジゼルをひそかに慕う村の青年ヒラリオンはアルブレヒトの事が気に入らない。彼が村人でないことも察知している。あるとき偶然アルブレヒトの婚約者(貴族の娘)が村を通りかかり、ジゼルの家で休憩することに。ジゼルは彼女に踊りを披露する。すばらしい踊りに感激した彼女はジゼルに首飾りを褒美として授ける。ヒラリオンはアルブレヒトの正体を暴くのに絶好の機会とばかりに、ジゼル、アルブレヒト、貴族の婚約者を鉢合わせさせる。なぜみすぼらしい服装をしているのかと婚約者に尋ねられたアルブレヒト、ばつが悪い。ごまかそうとするものの、彼女への挨拶(貴族式の)をせざるを得ない。これを見たジゼル、彼は自分の婚約者だと言う。しかし、貴族の娘も彼は自分の婚約者だと言う。ますますきまりが悪いアルブレヒト。ジゼルはとうとう、アルブレヒトは貴族の身分を隠していたこと、村の農民の娘であるジゼルは身分が違うアルブレヒトと結婚できないことがわかり、大変なショックを受け、気がふれてしまう。錯乱の中で踊り続けたジゼルは、アルブレヒトの腕の中で死んでしまう。(第1幕終わり)


第2幕は森のほとりのジゼルの墓周辺で展開する。あまりの悲しみにジゼルの墓でうなだれるアルブレヒト。ヒラリオンもこっそりやってきていた。実はウィリスという結婚前に亡くなった若い女性たちの亡霊が住む森。ジゼルも結婚前になくなり、ウィリスの一員になっていた。亡霊たちは夜に現れるのだ。ヒラリオンは亡霊たちの罠にかかり -踊りつづけらせられ疲れ果てて死ぬまでやめさせてもらえない- 力尽きる。アルブレヒトはウィリスに踊らせられそうになるものの、なんとかとめようとするジゼルの必死の努力によって死を免れる。-夜明けが来たのだ。ウィリス達は朝になると姿を消すのである。ウィリスとなったジゼルもアルブレヒトの前から姿を消さなければならない。アルブレヒトは一人残され悲しみに沈む。
ジゼルは第1幕では村娘の衣装、第2幕では白く長いチュチュをまとう。この第2幕の白い衣装から、白のバレエ(バレエ・ブランBallet Blanc)のうちの一つに数えられる。
youtube動画はザハロワ(ジゼル)とボレ(アルブレヒト)主演。

バレエの初めから終わりまでご覧になりたい方はこちら。ミラノ・スカラ座バレエのジゼル。




2015年5月29日金曜日

ドビュッシー : ヒースの茂る丘 - 前奏曲集第2集より Claude Debussy : Bruyères, Préludes Deuxième Livre

ドビュッシーは、前奏曲集 第1集(12曲)と第2集(12曲)を作曲しました。特徴的なのは、各曲の題名を楽譜の最初に掲げるのではなく、ひっそりと曲の最後に置いていることです。これは、演奏者や聴衆に固定されたイメージではなく、自由なイメージをさせる意図があるといわれています。
「ヒースの茂る丘」は、前奏曲集 第2集の5番目に置かれています。フランス語の題名は「Bruyères」=ヒース(複数形)です。
ヒースはスコットランド地方にたくさん生息する、とても小さな花を咲かせる植物で、エリカとも呼ばれます。見渡す限りのヒースが茂っている丘は、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の情景を彷彿とさせます。
ヒースが生息するところは、作物が育ちにくい土地だそうです。
「ヒースの茂る丘」は演奏時間3分未満ながら、色彩豊かなドビュッシーの音楽の美しさ、繊細な和音構成が充分に堪能できる曲です。


上の動画から、平田尚子演奏の「ヒースの茂る丘」の色彩感あふれる演奏をご堪能いただけます。ビデオの中で、ヒースの花の映像もご覧になれます。

2015年5月20日水曜日

リュリ:町人貴族 Lully:Le Bourgeois Gentilhomme

リュリはイタリアで生まれ、少年の頃フランスに渡り、ルイ14世の音楽家として活躍しました。モリエールと合作でコメディ・バレエ「町人貴族」を生み出し、大ヒットしました。現在でも毎年さまざまな劇場で上演されている演劇の重要なレパートリーの一つです。コメディ・バレエという分野は単なる喜劇にとどまらず、演劇、舞踊、音楽(楽団と歌)の要素がそれぞれに重要な役割を持っています。
「町人貴族」は、大金持ちのブルジョワのムッシュー・ジュルダンが貴族になりたいという願望を持ったものの、貴族の教育を受けていないので、教養や作法を学ぶことを決意、音楽、ダンス、武術、哲学の教師が訪れる。あまりの無知と教養のなさをさらけ出すムッシュー・ジュルダン。貴族ではないことを理由に、ジュルダンの娘との結婚を許されなかったクレオントは、トルコの王子になりすまし、自分とジュルダンの娘との結婚を認めればトルコの貴族の称号「ママムシ」を与えると提案する。喜び受け入れるジュルダン。トルコのセレモニーのための行進曲と題された曲は単独でも演奏される機会のある曲。リュリらしいはっきりとしたリズムと威厳のある管弦楽法が特徴的。

トルコのセレモニーの為の行進曲


 
「町人貴族」全体の動画はこちら(フランス語とイタリア語の字幕)
この版は、ベンジャマン・ラザールによって、当時の発音の仕方や音楽の演奏の仕方などを研究した上で上演された完全復刻版。個人的には最も素晴らしいバージョンだと思います。



プーランク:15の即興より第13番 Poulenc: Improvisation No.13

フランシス・プーランク(1899-1963)はフランス・パリ生まれの作曲家、ピアニスト。独特の和声語法、アイロニー、サルカスム、ノスタルジーの美しい曲を多くのこしている。卓越したピアニストでもあったので、高度はピアノの演奏技術を求める曲も多い。プーランクの父親は、製薬会社の創業者のひとりで、のちに大化学・製薬会社に発展した。(現在は閉業) プーランクは当時の上流社会に出入りし、プロコフィエフをフランスの聴衆に紹介するなどもした。
プーランクはピアノの弟子をただ一人だけとった。その唯一の弟子がガブリエル・タッキーノGabriel Tacchinoである(ちなみに我が師である)。タッキーノはプーランク唯一の直弟子として、プーランクの教えや楽譜には書かれていないプーランクの自作を演奏する上での要求を伝える貴重な存在である。現在タッキーノはパリ・スコラ・カントルムSchola Cantorum音楽院で教鞭をとっている。

15の即興第13番はノスタルジックな作品。大げさな表情をつけた演奏はふさわしくない。あくまで自然に。
プーランク:15の即興 第13番
youtubeでタッキーノの演奏が聴けます。

ルイ・クープラン:ムッシュー・ド・ブランクロシェールの墓に Louis Couperin:Tombeau de Monsieur de Blancrocher

ルイ・クープラン(1626-1661)にフランスで生まれ、今日「クープラン」として一般的に知られているフランソワ・クープランのおじにあたります。
ルイ・クープランは「プレリュード・ノン・ムジュレ」という小節線の無い(!)チェンバロ曲を数多く残しており、今日のチェンバロ奏者たちからは高く評価されている。
「ムッシュー・ド・ブランクロシェールの墓に」は、当時高名なリュート奏者であったブランクロシェールへの追悼の曲で、ブランクロシェールは、階段から落ちて亡くなったが、この曲のなかでは彼が、階段を転がりながら落ちていく様が音によって描写されている。

ムッシュー・ド・ブランクロシェールの墓に -動画

上のリンクをクリックすると、youtubeで巨匠グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)の演奏が聴けます。

フォーレ:パヴァンヌ Fauré: Pavane Op.50

パヴァンヌ 作品50はフランス人作曲家、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)によって1887年に作曲されました。オーケストラ用の作品として書かれましたが、合唱付きの版、ピアノと合唱版、ピアノソロ版もあります。
パヴァンヌとは、元来16世紀のゆっくりとしたテンポの宮廷舞踊で、16世紀が幕を閉じるとともに踊られなくなりましたが、音楽様式としてのパヴァンヌは17世紀半ばまで保たれ、ウイリアム・バードなどの作曲家が、チェンバロまたはヴァージナルのためにたくさんのパヴァンヌを作曲しました。フランス近代(19世紀後半から20世紀初頭にかけて)は、バロックや古典の舞踊音楽の様式からインスピレーションを得て作曲された名曲がありますが、これは当時としては斬新なことでした。直前の19世紀の音楽様式と大きく異なります。代表的な例は、ラヴェル:クープランの墓、古風なメヌエット、 ドビュッシー:ベルガマスク組曲、ピアノの為に、などです。 フォーレのパヴァンヌもこうした古い過ぎ去った時代への憧憬が現れています。

フォーレ:パヴァンヌ

フランス音楽のブログ

フランス音楽。素敵でお洒落なイメージはあるけれど、何を聞いたらいいかしら。基本的なドビュッシーの月の光やエチュードは弾いたけど、隠れた名曲を開拓したい・・。そんなあなたに贈る、知られざるフランス音楽の名曲の数々を、パリ在住のピアニストがお届けします。